『アンノウン・キング』
18
トゥーマッチタウン警察署はマガウンの死があってからというもの、多忙さを極めていた。1ヶ月前には見られなかった、署内を駆け回る警官の姿があちこちで見受けられる。ある者は数枚のファイルを持ち、ある者は拳銃を片手に飛び出していく。
ケヴィン・ビジーはデスク前でパソコンと向かい合っていた。デスクトップに今回の事件に関連した情報が次々と窓を開いて現れる。最も画面手前に表示されたのはミスター・マガウンの死体だった。まだ胸に埋め込まれたテディベアも取り出していない状態のものだ。誰も手をつけていない、生の死体。その右隣にはやはりそのままの姿でゲイリーのものが映し出されていた。もし自分が刑事でなければ、真っ昼間からこんな画像を見ている自分を妻が不安がって知人、あるいは警察に相談するかもしれない。
「おぇっ」
全く調子のずれた嗚咽がビジーの喉から漏れた。別段気持ち悪くなって出したわけではなく、それはある種の礼儀のような部分から出たものであった。またあるいは捜査の行き詰まりへのちょっとした苛立ちが声となって現れたものだった。
「おぇっ」
彼はまた虚偽の嗚咽を漏らした。
「警部」
「ん?」
部下の一人が駆け寄ってきて、入り口の方向を指さした。
「会いたいという方が来ています」
「どんな奴だい?」
「ええ、とても大きな老人と、スーツ姿の若い女性です」
「何だい?爺さんと孫が、亡くなった婆さんの遺産でも探しに来たってか?いま忙しいんだ。適当に扱っておけよ」
「ですが、例の事件で話があるというので、警部の耳に入れておこうと思いまして」
これは意外だった。今回得ている情報はほぼ全て警察独自の捜査によるものであり、元々警察との関係の薄い一般市民からの情報提供はまったくといっていいほど無かった。
「ほう。興味深いな。名前は聞いたか?」
「聞いたんですが、本名ではないようで。ただドンキホーテと言えば分かると」
ケヴィン・ビジーは危うくデスクに置かれたコーヒーを零しそうになった。
ドンキホーテ、だと?タイラー・クルゼイロか?ラスヴェガスの帝王が来ているのか?
「すぐにお通ししろ!」
上司の変貌ぶりに狼狽えながらも部下は慌てて入り口へと戻っていった。
ラスヴェガスの帝王、ドンキホーテ。タイラー・クルゼイロ。
ケヴィン・ビジーにとってその名前はどんなスーパースターよりも羨望の的だった。
およそ地球で考えられる数々の死地を乗り切った男。
その男が何故ここに来たのか?
「ハハハハハッ、悪いねえ。初対面なのにお邪魔しちゃってよ」
大柄な老人がビジーの前に立った。
とんでもない存在感を持っている老人だった。とても齢80とは思えない。彼の持つオーラは若さや大きさを超越している。すべてを包括する、何かの偉大さを彼は持っていた。真紅のスーツを上下に纏い、右手には高級そうな葉巻が摘まれていた。彼の隣にはスーツ姿の金髪の女性が立っている。年齢は20代半ばくらいであろうか。隣の老人と比べると先ほどビジーが予想したように祖父と孫くらい歳が離れているが、彼女の立振舞と、また隣の老人がドンキホーテであるという事実とによって、その女性が何らかの形でドンキホーテをサポートする立場にあることをビジーに悟らせた。
おそらく、ボディガード。こんなに華奢なお嬢さんが?いや、ドンキホーテに限っちゃあり得る話さ。
「お噂は窺っております。ミスター・クルゼイロ。あなたは常に羨望の的でしたよ」
「ハハッ、ありがたいな。だがそういう挨拶は抜きにしようぜ」
「この度は、一体何の用件でこちらまで?」
「ん。さっきお前さんの部下に言ったはずだが?伝わってないのか?」
「あ」
そうであった。
彼は“例の事件”の件で来訪したのであった。
「あの連続殺人事件に関してでしたな。何か、何か貴重な情報でも持っておいでですか」
ドンキホーテは機嫌良さそうに笑った。
「いや実はその逆なんだよ。お前さんの持ってる、というよりトゥーマッチタウン警察署にある情報を見せてほしい」
ビジーは閉口した。
「情報?」
「それ」
「ですが、いくら貴方の頼みとはいえ、警察の情報を簡単に一般人に公開するようなことは」
しかしビジーの言葉は気持ちが籠もっていなかった。彼は警察一人一人に渡されるマニュアルを棒読みしたに過ぎなかった。彼の内面では別の感情が浮き上がりつつあった。
ああ、誰かこの気持ちをもう一押ししてくれ。
「固いこと言うなって。俺はたしかに一般人だが、ちったあ顔の知れてるほうだぜ」
「ええ、存じています」
「それにこいつはお前にとって不利な話じゃねえはずさ。いや、それどころか有利になるかもな」
目の前の老人は相変わらず“偉大さ”のオーラを放っている。
底抜けの快活さをもって放たれる笑いを伴って。
本当に底が見えない男だった。
彼が何を欲しがっていると言ったか?情報。
突然のことだったが、ケヴィン・ビジーは既に頷いていた。
後になってもなぜ自分がそうしたのか思い出せない。
あるいは焦っていたのかもしれなかった。焦りが、目の前の男に助けを求めたのかもしれない。
数年経っても、彼はこの時のことを思い返す。
あの時目の前にいた男が助けを求めるに足る大人物だったことには疑いなかった。
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