『アンノウン・キング』
25
ロイ・ベーカリーは路地の中心を歩いていた。特に隠れる様子もなく、その歩法は堂々としていた。王者の威圧感。自らへの絶対な自信が、彼をそうさせていた。犯人が路上の格闘家を狙っていることはマイクから聞かされている。何も隠れる必要はなかった。むしろ、彼の存在をアピールすることが、犯人と出会う可能性を大いに上げるに違いなかった。
「出てこい」
彼は唸った。
「俺がぶっ潰してやる」
彼の“モンスター・アームズ”はトレーニングウェアの内側からも強烈な存在感、殺気を迸らせていた。本気で殴れば“人を殺せるであろう”拳を、彼は持っていた。
道は南に真っ直ぐ伸びており、所々で枝のように分かれていた。ジョウド・エリアは広く、陰鬱な雰囲気の漂う街だった。区画整備も十分にされているとは言えない。一度、道を曲がれば方角がどちらか分からなくなるだろう。それほどまでに入り組んでいた。出発前に一通り地図は見てきたが、実際に歩いてみると、暗がりの迷路だった。果たして役目を終えた頃には自分はどこにいるだろう。
冷たい風が吹いた。
だがロイ・ベーカリーの闘志の炎を揺らがせるには至らない。
“久々のリングだ”とロイは思った。
最後にこの興奮を味わったのはいつだろう?
“クレイジー・ブレット”のビリー・マデンか?
“ナックル・ヴォルケーノ”のコーン・Dか?
いずれにせよ、遠い過去の話だ。王者だった時分に勝ち得ていた名誉とこの高揚感は、いつの日か白人どもにもぎ取られていた。根こそぎ!丸ごと!
ロイ・ベーカリーは歯ぎしりし、再び拳を打ちつけた。
もう何度目か分からない。燃えたぎる興奮を何らかの形で発さなければ仕方なかった。もちろん拳を打ちつけるだけでは、ほんの一時しのぎにしかならなかった。十数秒瞼を瞑れば眠気が収まると信じ込むような。ほんのささやかな抵抗でしかなかった。どこかで吐き出したい。発散したい。否、ぶつけたい。相手が例の殺人鬼ならば一番いいのだが。
足音がする。
緩急をつけず一定の歩調で、ゆっくりとこちらの方向へ向かってきている。道路に転がる小石を蹴ったのか、カラカラと無機質な音が夜のジョウドエリアに響いた。
来たか、とロイは思った。
この時間帯、このエリア、マイク・ドースン、そして、この町。
あらゆる要素が、あの者の存在に像を結んだ。
――来い。
ロイ・ベーカリーは、しかし歩みは止めずに迫る影との距離を縮めた。
間合いが、どんどん狭まる。
影が見えてきた。大きな影だ。闇の中にありながら、その大きな闇は強烈な存在感を持っている。トップクラスのファイターだけが持ち得る闘気、あるいは殺気。
――来い。
大きな“男”。背丈だけなら自分とさほど差もないだろう。ひょっとすると相手のほうが大きいかもしれなかった。そして、バランスのとれた肉体。タフネスと機動力を兼ね備えたファイターのそれだ。
“男”は、ロイ・ベーカリーと5mほど離れたところで立ち止まり、彼を上から眺めた。
「驚いたな」
低い声で“男”が言った。まるで絶景を見渡し、感想を漏らすような口調だった。
ロイ・ベーカリーも立ち止まり、相手をじっくりと観察した。
やはり大きい。わずかではあるが、自分よりも大きい。
背、足、鼻、頭、全てがロイ・ベーカリーのサイズより大きかった。
ただ腕の他は。
「“モンスター・アームズ”のロイじゃないか。運がいいのか、悪いのか」
“男”は特徴的な頭を持っていた。丸い頭から固められた髪の角が何本も突き出されている。それはロイにハリネズミを思わせた。
「知ってるよ、あんた、例の殺人事件を解決しようってんでこの町に来ているんだろう」
「お前が“ストリートファイター殺し”か?」
ロイの目が鋭くなった。
彼の内面では既に何かが爆発しそうだった。
それはこのジョウドエリアを歩き始めてから、あるいは白人どもに“俺の名誉をもぎ取られてから”、ずっと満たされることのなかった欲望だった。それは本能でもあった。
“男”は鼻で笑い、両拳を握りしめた。
「残念だが、俺は違う。俺はサム・ブレンナー。この町のファイターだ」
二人の間を冷たい風が勢いよく吹き抜けた。
その風の中に、サムは異質な風の臭いも嗅ぎ取っていた。殺気。
ロイ・ベーカリーの鋭い眼から放たれる、攻撃的な気迫。
「…やるのか?」
サムはわずかに立ち位置をずらし、言った。
「貴様が“ストリートファイター殺し”ではないと証明することはできないだろう」
「言われてみればその通りだな。だが、実際の話、俺とお前が出会った時から、こうなることは決まっていた。俺はいま2つの仕事を持ってる。1つはお前の探してる“ストリートファイター殺し”を殺ること。もう1つは、てめえのような余所者をこの手で追い出すことだ」
サム・ブレンナーは体重をグッと地面に乗せ、少し前屈みになって構える。ハリネズミの“男”のスタイルは、構えもやはり獣の様だった。殺気の籠もったギロリと目をロイに向け、さらに体重を乗せた。
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