『アンノウン・キング』

26


 元ボクシング・ヘヴィ級王者ロイ・“モンスター・アームズ”・ベーカリーか。
 サム・ブレンナーは目の前の巨大な怪物を目の前にして、臆していなかった。
 こういった手合いとは何度か闘ったことがあった。
 ムエタイランカー、元空手道世界選手権3位、レスリング銀メダリスト……
 その誰も、サムから勝利を奪うことはできなかった。

 ――所詮はスポーツマンだ。

 彼は知っていた。
 連中は強い。己の肉体に鍛錬に鍛錬を重ねた技術力。
 世界を獲るに相応しいトレーニングを続けてきたに違いない。
 だから強い。
 連中はしかしストリートを知らない。
 ルールの存在が彼らを堕落せしめていることを彼は知っている。

 だからこそ、自信は、あった。

 拳が風を切って放たれる。
 ロイは落ち着いた動作でその攻撃をガードしたが、ずんと強い衝撃が彼の体を揺さぶった。
 次々と矢継ぎ早に拳が放たれる。全てが重い一撃だった。
 サム・ブレンナーはパンクロックの疾走感さながらに、激しく殴り続けた、
 スピードに体重が乗っかっている破壊力あるパンチ。
 ボクシング界でもこれほどのパンチを繰り出せるのは所謂トップファイターと呼ばれる何人かだろう。
 「ハッハァッ!」
 サム・ブレンナーの拳撃はまったく途切れる気配がない。
 攻撃と攻撃と間に生まれる空白を巧みなパンチコントロールで潰している。
 まったく反撃の余地を与えていない。

 ――どうだ、モンスター・アームズ!
 サムのラッシュが一段と速さを増した。
 ――ヘヴィ級王者もここじゃ“素人”と変わらねえってことだ!
 ガードを上げたまま、屈み込む相手を見て、サムはさらに加速した。
 上下左右あらゆる方向からパンチを浴びせる。機関銃のような拳打だった。
 ――ここだ!
 それは禁じ手だった。
 ルールの無いストリートならではの必殺技。
 ガードしたまま少しずつ沈んでいくロイの鼻に空白があった。
 まるでダーツの的のように、小さくはあるがロイの前に突き出されている。
 そこを目がけて、サムは攻撃を撃ち込んだ。
 人間の肉体の内で最も皮膚が薄い部分。
 それはつまり硬い骨で一撃を加えることを意味していた。
 サム・ブレンナーはロイの鼻に“肘”を撃ち込んだのだった。
 ――レフェリーはいない!
 ロイの鼻がめりっと音を立てて曲がった。
 どろどろした大量の血が二つの穴から吹き出ている。
 足がバランスを失い、一歩、二歩と退いていった。
 ――誰も止めない!
 サム・ブレンナーは勝利を確信した。
 今まで喰らったことの無かった肘の威力に、相手はたじろいでいるに違いなかった。
 
 そうなのだ。
 スポーツマンはルールに守られている。
 定められたリング、マット、コート、あるいは道場の中でしか彼らは“強くない”
 パターンは全て決まっているから。
 ボクサーは肘を警戒しまい。柔道家は打撃を警戒しまい。
 空手家はまさか相手がバックドロップを繰り出すとは思いもしないだろう。
 連中は強い。しかしそれも限られた枠のならではの話なのだ。
 ここは“何でもあり”だった。
 拳、蹴、投、極――噛みつきすらも。

 ――そこを突きさえすれば、

 ――ボクサーなど、脆い!

 続けざまにサム・ブレンナーは足刀でロイの左足を蹴り抜いた。
 鞭のようにしなやかな足撃が大きな音をたてて、ロイの足に直撃した。
 ――蹴られたことのない、足!
 また一瞬、目の前の男が揺らいだように見えた。
 サムは踏み込んだ。
 ――弱い!弱い!ロイ・ベーカリー!さっさとこの町からおン出ちまいな!
 風を切って、超重量の拳がロイの頭部目がけて放たれる。
 必殺の可能性を秘めていた、サムの拳だった。
 
 長い。

 長い拳、モンスター・アームズが、サムの顎を捕らえていた。
 衝撃音が響き、風が吹くと、貫くようなストレートがサムの体を吹き飛ばした。
 
 サムの200ポンドを超える巨体が固い地面の上に叩きつけられた。


 ―――………ッ!

 吹き飛んだのはサム・ブレンナーだった。

 


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