『アンノウン・キング』
28
ニコライ・フォクトナーは両手をポケットに突っ込んだまま、身を屈めて町の真ん中を闊歩していた。
寒い。
真っ白な肌と髪の毛一本と生えていないスキンヘッドが、実際には変わりのない寒さを余計に寒く感じさせていた。
冷たい向かい風が吹き抜けた。
「ううっ」
ニコライはポケットから手を取りだし、白い吐息を吹きかけると、鼻の前で蠅のように擦り始めた。彼は元来、寒いのが苦手だった。
「何でこんな時期に殺されちまったんだろう…ゲイリーのやつ」
しかし彼もまたアートやサム、ジェリコと同様に今回の犯人捜索には乗り気だった。寒さの中、嫌々ながら探すというよりは、むしろ寒い中をわざわざ探しているという事実に彼は内心満足しているのだった。仇を討ちたい、と思う。
ニコライはブルドッグ・ジョーがアートに今回の話を聞かせた時、その場に居合わせていた。ジョーの話だと、犯人は“ケダモノ”だった。ブルドッグと呼ばれる彼がそんなこと言うのも妙な話だが、苦いものを吐き出すように、犯人の特徴やら行動範囲を、ジョーにしては珍しく多弁で、アートに教えていた。
“心臓を素手で抉り抜く”
“殴るだけじゃない。炎だって使う”
“ゲイリーはそいつに負けた。殺された”
“強いぜ”
「ああ…そうかい」
ニコライは再びポケットに手を突っ込み、独り言を言った。
やはり復讐の念が彼を駆っていた。
ゲイリー・カジノブとは、よく一緒になって飲んだ。
ん?
何か、いる。
先の見えない影から、何かが近づいてくる。
ニコライ・フォクトナーの体が思わず強ばった。
うっそだろう…?
あの闇から、何かが近づいてくる。
とてつもなく大きな何か。
とんでもなく大きな何か。
ニコライはその大きさを感じ取れただけでも、強いと評価されるべき立場にあった。事実、彼は強い。だが、目前から迫ってくる圧力には、ただ体を緊張させる以外に対応の仕方がなかった。
何かをせねば。何かをせねば。
まだあの影が、ゲイリー殺しかどうかは定かではない。
しかし。しかし。
「ハハハハ……」
影が、笑った。
陽気な声だったが、この曇天の夜にその陽気さは逆に町の不気味さをさらに演出したに過ぎなかった。ニコライはすくみ上がった。寒さの感覚はとっくに無くなっていた。
畜生!間違いねえ!笑ってやがる!
狂ってるんだッ!ゲイリー殺しと出くわしちまったッ!
一歩、また一歩と影が近づいてくる。
相手はこちらの存在に気づいているのだろうか?
血の臭いを嗅ぎ取って、ニコライを目指してゆっくり歩いてきているのだろうか?
ニコライはポケットから手を抜きだし、拳を握った。
ゆっくりと深呼吸し、心を落ち着かせる。
いざ相手と向かい合ってみると、不安だった。
実力も自信もある。ゲイリーが死んでからは一層辛い努力を続けてきた。
アートには「そんなことは似合わない」と言われたが、
それでもこの時に備えて実践的なトレーニングを重ねてきた。
ゲイリーの仇を討ちたいがために。
しかし――この存在感。
“強いぜ”
ブルドッグ・ジョーの言葉が、再び思い出された。
なるほど、強い。
こいつなら葡萄でももぐみてえに、楽々と心臓1つくらい抜き出せるかもしれねえな。
だが、もう引けねえよ。
影が、間もなく見える位置に現れる。
―――おいおい。
犯人は一人ではなかった。
歩調が合っていたので気づかなかったのだが、大きな影の側に小柄な女性ほどの影が立っている。
そういうことか。二人なら、ゲイリーを殺せるかもなあ。
「お前!」
ニコライは叫んだ。良かった。裏返っていない。
二人の動きが止まった。はじめてニコライに気づいたらしい。
顔を見合わせて、大きい方が再び笑い始める。
そして、大きい方が言葉を発した。
「あんたは誰だい?」
その一言にも威圧感を漂わせる、迫力のある声だった。
ニコライの足がわずかに下がった。くそ、逃げられるか。
「うるせえ!黙って俺の質問にだけ答えろ!そこから動くなよ!」
またしてもしばらくの笑い。
最後の一言は蛇足だったか、少しニコライは恥ずかしくなり、
また一歩、前へ進み出た。恥を恐怖で戒めるつもりだった。
影から声が届いてきた。
「オーケイ。お許しが出るまでは、ここから一歩も動かないぜ」
「ああ、そうしたほうが、いい」
ニコライは深呼吸し、両膝を叩いて落ち着かせた。
気が滅入りそうだった。心臓が発電機のように激しく唸っている。
気分が悪くなってくる。
ああ、やっぱり俺には無理かな?逃げ出すか?――いや。
「ゲイリー・カジノブを知ってるか?」
「知ってるよ。うん、よく知ってる」
―――ああ、そりゃそうだ。有名だもんな。
いまアメリカで最も有名な無名人ゲイリー・カジノブ。
知らないほうが可笑しいってもんだ。
さあ、ニコライ、いよいよ核心に迫る質問をしてみようか――?
ニコライは胸の上の方をどんどん叩き、また1つ深呼吸をすると、意を決して質問を投げかけた。運が良ければそのまま――
「あいつを殺したのはお前か?」
「クックックッ」
笑い声。
―――くそ。
―――頼む、やめてくれ。その先は言わないでくれ。
だが声の主は一頻り笑うと、夏休みに遊園地に行った思い出を話す子供のように、さも楽しげに言った。
「あの夜は忘れられないぜ…」
ホーリー・シット(大いなる糞)だ。
ニコライは少し涙目になっていた。
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