『アンノウン・キング』

29


 ドンキホーテとKJは、祈りを済ませると、ジョウドエリアを南に突っ切る形で、細い道を歩いていた。じめじめした影が町全体に沈んでいる。エリアそのものが「陰り」だった。1つとして陽気な臭いは感じられない。おそらく夜だからということもあろうが、しかしKJにはこのエリアの昼というものが想像できなかった。傍らでは老人が今の感想を語ってはひたすら笑い続けている。こういう時にあって、自分を相棒と呼び、面倒を見てくれる老人のことを、彼女は一層頼もしく思えるのだった。
 しかし――
 「笑いすぎだ」
 KJは歩きながら、厳しい口調で戒めた。
 構わずドンキホーテは笑う。
 「ハハッ、何だKJ、楽しくないのかい?」
 「楽しいとか、楽しくないとかじゃなくて、あんまり大きな音をたてたら、あんたが探してるそのゴーストにも警戒されると思って」
 ドンキホーテは首を振って、葉巻を吹かし、答えた。
 「実際にはその逆だ。むしろ俺たちは目立ったほうがいい。今日あいつは殺す目的だけを持ってここへやって来る。見つかったほうが都合がいいのさ。もっと騒がしくしたほうがいいくらいだ」
 「そう?」
 KJはやはり不満そうに歩き続けた。
 「でも幽霊って普通、楽しい雰囲気には近づかないものじゃない?幽霊とか悪魔に怯える子供たちに助けを求められた時には、楽しい歌を歌ったり、ゲームしたりして、場を明るくしてあげなさいって、シスターが言ってたよ。そうなると、やっぱりゴーストも、あんたにバカみたいに笑われると臆病になって近づかなくなるんじゃない?」
 「ハハハ!なるほど一理あるな!」
 ドンキホーテは首肯しながらもまだ笑っていた。
 声をあげて笑うのもやめても、依然彼の口元にはにやにやした笑みが張り付き、その表情がKJをまた少し不満にさせた。
 「何がそんなに可笑しいんだ、ドンキホーテ」
 「いや、KJ、お前もこの事件の犯人がゴーストって信じる気になったんだな。ハハハ」
 慌てて弁明しようとするも、言葉が出ず、KJはただ俯いたまま歩くしかなかった。

 「お前!」

 「おや」
 突然、自分たちの向かっている闇の先から声が聞こえた。はっきりと姿は見えないが、どうやら声の主は禿頭だった。それに小柄。様子からして何かこちらに対して怒りを持っているらしい。
 ドンキホーテとKJは顔を見合わせた。
 「犯人?」
 KJが小声で老人に言った。
 「ハハハハハ」
 ドンキホーテは面白がってKJのみに聞こえる声で質問に応じた。
 「どうかな。声の感じではそんな気はしないが」
 「でも、こんな夜中に歩いてるのは不自然だ」
 「そうか?この町恒例のストリートファイターだと思うぜ。よし、本人に直接聞いてみよう」
 そう言って彼は口に手をあてがい、轟くような声で言った。
 「あんたは誰だい?」
 しばらくの沈黙。
 「うるせえ!黙って俺の質問にだけ答えろ!そこから動くなよ!」
 声には何かしらの必死さが伝わり、その印象がKJを安心させ、ンキホーテを面白がらせた。
 「ハハ、読めたぞ。なるほど」
 やはり小声で、ドンキホーテがKJに言った。相手に悟られないように、あくまで小声で。
 「ケヴィンの奴が言ってたな。殺されたゲイリーやマガウンのお友達が、犯人を捜そう躍起になってるってよ」
 「じゃあ、あれは」
 「うん。ほぼ間違いなく、そのお友達だろうな。そうなると、相手は俺たちを犯人と勘違いしてるんじゃないかな?」
 「ちょっと、ドンキホーテ」
 「面白くなってきたな」
 KJの声を無視し、ドンキホーテは顎髭を撫でながらにやにや笑った。
 「オーケイ。お許しが出るまでは、ここから一歩も動かないぜ」
 「ああ、そうしたほうが、いい」
 ドンキホーテが返事をすると、声は少し卑屈になって応えた。
 少し間があって、声は「俺の質問」をドンキホーテに投げかけた。
 「ゲイリー・カジノブを知ってるか?」
 この質問はますますドンキホーテを面白がらせた。
 「いよいよ間違いないな。あいつ、俺たちを犯人と疑ってるぜ」
 「じゃあ濡れ衣だ。無関係だってことを教えないと」
 「ハハハハ」
 だがKJの提案に対しても、老人はいたって無邪気そのものだった。
 まったく、このじめじめした場所にあって、どうしてそこまで陽気でいられるのか、KJは不思議でならなかった。
 「知ってるよ。うん。よく知ってる」
 遠くで、畜生、という声が聞こえた。
 またしばらく沈黙。
 「もしかして、彼、ちょっと怖がってる?」
 「ハハハハ、どうやらそのようだぜ、相棒」
 二人の思惑を余所に、声の主は人生で最大の英断を下していた。彼がこの最後の質問を絞り出すのに、どれほどの努力を要したかを、ドンキホーテは知るよしもなかった。ただ、笑っている。
 声が言った。
 「あいつを殺したのはお前か?」 
 「クックックッ」 
 流石にここは笑わずにおこうと思っていたが、あまりに予想通りであるこの展開に、ドンキホーテの閉じた口から笑い声が漏れた。
 「まずいよ。あっちはもうその気だ」
 「うん。まずい。ここは返事に気をつけなくちゃな」
 ドンキホーテは一歩踏み込み、再び手をあてがって、声の主に聞こえるように言った。
 「あの夜は忘れられないぜ」
 また遠くで、畜生、という声がした。今度は少し、涙声だった。
 「ハハハハ。まずいなあ」
 ドンキホーテは笑顔で言った。

 


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