『アンノウン・キング』

32


 離れた場所で、“ゲイリー殺し”が葉巻を吸いながら月のない空を見上げている。
 いや、彼は“ゲイリー殺し”なんかじゃなかった。
 タイラー・クルゼイロ。俺を殴る直前、彼は馬乗りになりながらそう名乗った。その言葉を信じるには多少の勇気が要った。あの大きさ、あの強さ、そしてあの笑み、だ。この町に生まれて喧嘩に明け暮れる毎日を過ごしてきた俺だったが、あんな“化け物”は見たことなかったから、素直に信じることができないのも当然だった。しかし、物事の信憑性を確かめるのに彼の言葉は必要無かった。犯人の片割れと踏んでいた奴(それは女性だった)、シスターKJが俺の怪我の手当をしてくれたことが、彼ら(少なくともシスターKJは)がゲイリーの件について何の関係も持ってないことを確信させてくれた。
 どうやら俺は“ゲイリー殺し”と闘っていないらしかった。早計だったか。
 「ミスター・クルゼイロ」
 俺はかすれた声で遠くで佇む老人の名前を呼んだ。
 呼吸のしすぎで喉に声が通るだけでちょっとした違和感を感じていた。
 「俺を呼ぶときは“ドンキホーテ”でいいぜ」
 ドンキホーテ?妙なニックネームだ。
 「じゃあ、ドンキホーテ。聞かせてくれ。あんた、どうしてこの町に?」
 答えはなんとなく分かってはいた。そして事実、老人の答えは予測した通りだった。
 彼は、“ゲイリー殺し”を探しているという。



 グレッグ・バクスターは自分がどうしてこの場所に来たのか、もう一度、よく考え直した。
 ハリー・ノーランを誘うことに苦心したためか、さも自分がここにいることが、あるいはシンシアの力になることがそうあって然るべき当然のことのように思いながら過ごしてきたものだが、こうして、この町のファイター、トゥーマッチタウンファイターと向かい合ってみると、彼は再び、シンシアに依頼された直後の時に感じた疑問、「俺はこの場所へ行くべきなのか?」を考えさせられていた。一度しか闘ったことがないゲイリーとの弔い合戦を掲げて、できることなら行きたくないこの町に、果たして行くべきなのかどうかを、彼はもう一度よく考え直していた。
 しかし彼はいま、実際すでにここにいた。
 ここにいて、シンシアの恋人の敵討ちに臨み、その恋人の友人と思しきトゥーマッチタウンファイターと向かい合っている。ここに訪れてから、このことはあまりグレッグの頭を過ぎることはなかった。例えばグレン・タイソンと名乗るファイターが自分と闘いたいと申し出てきた時も、そのグレンとハリーが闘っている時も、彼は「なぜ自分がこの町にいるのか」を考えたことはなかった。だが目の前のファイターと対峙して、これから始まるであろうファイトを思うと、どうしても彼はそのことを考えざるを得ない。
 彼はいまようやくトゥーマッチタウンに到着したのだと思った。
 そして呟くべき言葉はかつてハリーがタクシーから降りる時に零したあの台詞、「やっぱり来なきゃ良かったかな?」だった。
 ―――いや。

 「それで?」
 アート・コーポランドと名乗るその男は、ため息まじりに言った。
 「どうしてあんたがここにいるんだ?グレッグ・バクスター」
 グレッグもまた、すでに名乗り終えていた。目の前の男は、自分の名前を聞くと、嬉しそうなのか、残念がっているのか、妙な顔をして笑ったものだった。その反応が、目の前の男が先日会ったグレン・タイソンの知り合い、さらに突っ込むならば、死んだゲイリー・カジノブの友人であることを知らせていた。
 「ここはお前の町じゃない。俺たちの町だぜ」
 アートの声はいやに落ち着いていた。
 グレンのような荒々しさはまったく感じられない。とりあえず、今のところは。
 「どうしてここにいる、だって?」
 グレッグは顎を撫でながら微笑み、聞き返した。
 「ああ。だいたい検討はつくがな。シンシアの差し金か?それともゲイリーの」
 「いや、違うな」
 「何?」
 “負け知らず”のグレッグは静かに続けた。
 「それは問題じゃない」
 グレッグには、分かっていた。
 あの自問の答えが彼には分かっていた。
 シンシアから助力をせがまれた時には適当ではなかったであろうその答えも、いまアート・コーポランドを目の前にしているという状況においては、うまく当て嵌まった。
 「何故、俺たちはこんな夜に出会っちまったんだ、だろ?」
 グレッグは地面に唾を吐き捨てた。アートは無言だった。しかし笑っている。グレッグが口にした彼の質問への回答を、彼自身もまた考えるに至ったに違いなかった。
 アートとグレッグの距離は両者にとってまるでコーナーサイドに立つ闘技者と同じくらいの距離であった。まるで今からゴングが鳴ってしまいそうな。寒く、静かであったが、アリーナで闘う直前の緊張感を漂わせていた。
 「夜の路地でファイターが二人……俺とお前が出会っちまった」
 グレッグは拳を胸の高さまで上げた。両足で地面を捉え、相手を見据える。
 アートは、構えないが、やはりまだ笑っている。
 グレッグは地面に唾を吐き捨てた。
 「畜生。まるで出来の悪い映画みてえだが、どうやら理由はそれだけで十分そうじゃないか?」
 そして小さく、呟いた。
 「神の御心は謎だ」

 夜の路地でファイター二人。
 ゲイリーの死やその恋人シンシアの依頼、“負け知らず”の異名だとかそういった問題は、あくまでこの状況の付属品に過ぎなかった。トロボウスキーに言わせれば、賭けを面白くする要素でしかない。
 肝心なことは、出会ってしまったことだった。
 アート・コーポランドとグレッグ・バクスターは、ちょうどニコライとドンキホーテが出会った時刻と同じ頃、ジョウドエリアを東西に走るカシアスストリートで出会った。出会ってしまった。あるいは引き合わされたのかもしれなかった。
 グレッグは思考を停止した。
 結局、そうなのだ。
 自分がストリートファイターである以上は、そういう結論に達せざるを得ない。
 出会ったこと自体が理由なのだった。
 「バクスター、1つ教えてやろう」
 対するもう一人のストリートファイター、アートの爪先が、じり、と動いた。
 「ここに“無敗の王者”は必要ない」

 


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