『アンノウン・キング』
38
ダニエル・ヒューズは果たして、それを見た時、何を思ったのか。
それは明らかに常軌を逸していた。
彼が思い描いてきたどの殺人者像とも異なる風貌。
奇態、と言えばそうに違いなく、異様、と言えばまたそれも当て嵌まった。
とにかく殺人者の姿は想像を超えた先のものだった。
一体アメリカ国民に犯人のこの風貌を予想出来た者が、全て合わせて何人いるのだろう。
警察の如何なるプロファイリングも、この姿にはたどり着けなかったのではないだろうか。
しかし、想像を超えた先とはいえ、予測することは不可能ではないはずである。
何故なら、犯人のその姿は若いダニエルにも見覚えのあるものだったから。
それは静かに動き始めた。
右足がゆっくりと上がる。
大きな足だ。そして堂々とした、大きな一歩。
その足は、その歩みは、偉大なアメリカを象徴していた。
愛国心など微塵もなかった彼だったが、そいつの歩みから確かにそういう印象を感じ取っていた。
確かにその奇怪な風貌も、アメリカそのものとも言えそうではないか。
アメリカ国民の象徴ではないだろうか。
ダニエルは両拳を握りしめて、全身を強ばらせていた。
想像を超える迫力を前にして、勝てないということがいやなほど分かる。
だが、もう後には退けなかった。
目の前の殺人者はこれから自分の骨という骨を砕き、最後にはゲイリーやマガウンにそうしたように、自分の心臓を持ち去ってしまうだろう。
だが、彼はもう退くことができなかった。
なるほど(俺はバカだ)。
いまこいつの視界に立って、アートが俺を外した意味が痛いほど分かる。
どんなに俺が言い張ったとしても、実力はまだまだガキってことだ。
勝てない。俺は死ぬ。
それは分かるが、退くことはできない。
実力は劣っているかもしれないけど、
性根はこの町のストリートファイターとして一人前のつもりだから。
ダニエルは先手を打つべく、踏み込んだ。
だが、その一瞬の間に何かが彼の脇に伸びたかと思うと、
今まで彼が聞いたことのない凄惨な響きが彼の内部で鳴り響いた。
クッキーを5,6枚重ねて纏めて割る音に似た、乾いた響き。
そして黒のイメージ。
それは、骨が折れる音だった。
べき、べき、と自分の体がプラモデルにでもなったかのように、
簡単に砕かれていく。その度に激痛が走った。
「もうだいぶ実戦を積んできた」とかつて彼は思った。
「坊や。お前にゃ無理だ」とビッグ・ボブは言った。
彼はいま、死にたいと思った。
「何をしているんだ、フォクトナー」
低い声がニコライの頭に落ちた。地響きのように体を震わせるような響きが、その声にはあった。ニコライは俯いた頭を持ち上げて、声の主を見上げた。なんともいえない間抜けヅラ。このままミッキーマウスと追いかけっこをさせても画になるだろう。男の顔は、ブルドッグのようだった。下あごが上を向き、頬の皮膚がゴムのような厚みを持っている。体も大きい。縦に、横に、太い骨で全身を支えられ、全身を必要以上の肉でコートのように纏っていた。短く刈られた濁色の黒髪に、人を馬鹿にしたような黄色の丸眼鏡。奥から除くグリーン・アイから無表情な視線をこちらに投げかけている。
「何をしている、だって?」
「ああ。望みの薄い敵討ちをやっているはずだが?」
ニコライは笑い、腰を上げて立ち上がろうとしたが、途端に強烈な痛みが全身を駆け巡った。どうやらまだ立てそうにない。ドンキホーテと名乗る老人の一撃は、思っていた以上にニコライを当分の間悩ますことになりそうだった。
「昔からおふくろに10時には寝ろって言われていてね」
「俺にくだらんジョークは無用だぞ。質問に答えな」
相変わらず、ブルドッグ・ジョーは愛想のない無表情でこちらを見つめている。アートと酒場で出会った時には少しは親しみやすくなるかと思ったが、どうやらそれは意味のない想像に過ぎなかったようだ。
「見ての通りだよ、ジョー。俺はもうリタイアだ。やられたのさ」
「誰にだ?」
「ドンキホーテ。そいつはそう名乗った。ロイと同じ理由でこの町に来てる。犯人探しでな」
「ドンキホーテ。知らんな」
「心臓が無事なところを見ると、どうやら例の殺人鬼じゃあなさそうだ。だが、とんでもなく強い奴だった。はっきり言わせてもらうがな、お前やゲイリーなんか比べものにならんぜ」
ブルドッグ・ジョーは犯人以外にはまるで興味がないとでもいう様にして、顎を撫でながら道の向こうを眺めていた。
闇に向かって延びる道。廃ビルが両脇に並び、その間には生命を感じさせるものがが何一つない。
「しかし、野郎もとんでもない日を選んだもんだな」
「え?」
「少し前にサム・ブレンナーに会った」
「へえ。元気だったか?」
「お前と同じさ。リタイアしていた。この町の部外者と戦った末、敗れていた」
「…相手は?」
「ロイ・ベーカリー」
「ハハッ、あいつもツイてねえな。俺ほどじゃねえけど」
「どうやら俺の入手した情報は、別ルートで多くの連中に出回っているらしいな。腕に自信のある余所者が多くこのエリアを彷徨いているようだ」
「何かのTV番組みてえだな。一人になるまで生き残った奴が勝ち。優勝商品はヨーロッパ一周か有名人との会食権か。まあ、俺はすでに脱落してるワケだが」
「アートも不安だな」
ニコライは両膝を打って笑った。
「よせよ、ジョー。お前も知っているだろう。本人の前じゃ言えねえが、あいつは俺やサムとは別格さ。マジでやればお前にだって勝てるかもしれんぜ。あいつが余所者に負けるとなれば、それこそトゥーマッチタウンの敗北さ」
「そうだといいが」
ブルドッグ・ジョーは歩き始めた。
まだ犯人の姿は見ていない。
本当に今宵、この町に現れるのだろうか。
また、現れるとして、この広い区画のなかで運良く出会うことができるのだろうか。
彼自身は知らなかったが、彼は今やトゥーマッチタウンを背負っていた。アート・コーポランドは“余所者”のグレッグ・バクスターに敗れ、また少し離れたところではキックのジェリコ・キーツが敗れた。ゲイリーの仇を討てるであろう実力を持つトゥーマッチタウンファイターは、彼の他にいなかった。
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