『アンノウン・キング』
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ロイ・ベーカリーは“モンスター・アームズ”で頭をカーテンのように覆いながら、じりじりと、数メートル先で構える黒シャツの男へ近づいていく。
ハリーは、低重力下で跳ぶかのように、長い間隔で地面を蹴っていた。
目はロイの“モンスター・アームズ”に向けられている。
逸らすことはない。じっとその怪腕を凝視している。
一度、怪腕が唸った時、すぐに対応できるように、全ての神経をこの怪腕に注いでいるのだろう。
彼は確実に両者の間の距離を縮めていく。
――その判断は正しい。
――この腕こそ、俺自身だから。
――今までにありとあらゆるものを手に入れてきたのはこの腕だから。
――今度だって、俺はこの拳で栄誉を勝ち取るんだ。絶対に。
ロイが踏み込んだ。
「シッ!」
振りかぶり、斧のように右の拳を薙ぐ。
ブーメランのようなフックが、ハリーの顔目がけて放たれた。
長腕2点に注意を絞っていたハリーは狼狽することなく、腰を屈めて躱し、その際に片膝のバネを伸ばし、
咆吼とともにロイの腹部へ渾身のサイドキックを放った。
「はぁッ!」
だが、浅い。
躱しながらのため重心が移動して下がり、威力が半減してしまっている。
キックの感触からしても、効いているとは思えない。
ブーメランは、戻ってくる。
続けざまにロイは左拳をアッパー気味に横に薙いでいた。
風が荒ぶ。砂塵が舞う。空気が砕かれる。男は拳を―――
全ての状況を、ハリーは肌と呼吸で感じていた。
五感ではない、第六感。
霊感のことを言うのではなく、言うなれば格技者のセンス。
戦いを終えた後、記憶に残ってはいないであろう神経が働いている。
――問題ない。何一つ、問題ない。
ニューヨークだ。
彼はマジソンスクウェアからそう離れていない裏路地に立っていた。
『ビッグ・アップル』。
世界最大の人工都市とはいえ、少し都心から離れれば、その方面の人種だって少なからず存在する。
世界の共通語は拳だって信じているような連中。
あの日だって、その前の日だって、鈍く光るメタルカラーの高層ビルの裏では、町を賑わす衛星放送やスポーツ格闘技、ハイクオリティな音響には目もくれず、血と吐息、ただ原始的な興奮を求めてやってきた物好きたちがやって来ていた。
彼らは円になり、たった二人の若者を囲んでいる。
その二人だけが、連中の関心だ。
二人のうちの一人は俺自身。
もう一人は、屈強な褐色肌の、戦車のような男。
グレッグ。
俺の友人。
妻が死ぬまで、俺たちはあそこで戦い続けた。
軍隊、リングの上では味わえない緊張感、興奮、あるいは感動。
あの場所にはその全てがあった。
あの場所では、全てを解放できた。
そして今も、いる。
この場所はあの場所と同じだ。
問題はない。何一つ。
よりスピーディーに。
そう脳が判断したのではない。ハリーは既に蹴っていた。
両拳に力を込め、腰の回転を効かし、最も良いタイミングで目の前の巨漢を蹴り抜く。
ロイのブーメラン・フックよりも迅く、左足でロイの右の頬を蹴り抜く。
数秒遅れて、威力を殺されたロイの拳がハリーの腹に埋まった。
否、埋まることなく、ただ触れた。
ハリーのハイキックを喰らい、破壊力の要である体重が両足を地に着けたまま揺らいでいるのだった。
「ロイ・ベーカリー」
ハリーは、その名を呼んだ。
かつて最強の名を欲しいままにし、リングの上の怪物と怖れられたチャンピオンの名を。
「恨むなよ!」
そして蹴り上げた。
撃音とともにロイの顎が跳ね上がり、同時に彼を地球上から突き飛ばした。
いま、怪腕の男は大地を踏んでいない。
両足が完全に地から離れ、しばし滞空し、そして―――
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