弓侍と狐
四の巻
| 一つ投げては 今世のため 二つ投げては 自らのため 三つ投げては あの方のため 「どうなのだ?片桐殿。」 与一が、偶然出会い、今、問い詰めている相手は、元鳥羽上皇の側近、 片桐であった。 何故、彼を呼び止めたのかは、与一にも定かではないが、 ただ、片桐の顔を見た瞬間、脳天に衝撃が発したのである。 片桐信義、つい最近、突然充実された職からはずれ、 今では農民にまで落ちぶれていた。 「何故、貴方は鳥羽のもとを離れたのだ?」 「さっきも、申したはずだ!気分が変わったのだ!それだけ・・」 「嘘をつけ!」 与一はとうとう床を叩いて叫んだ。ここは自宅、構う事はない。 足日もすでに使いに出した。讃岐を呼ばせに行ったのだ。 もっとも、怖がりのあいつのことだから時間がかかるだろうが、それは、 むしろ、好都合だ。 「・・・・・・し、信じまい。」 「信じる信じないの問題ではない!これは、中将殿直々の依頼なのだ! 包み隠さず話せ!」 片桐は、どうもこの男が今日はおかしいことに、気付いていた。 温和な彼が、息をせききって、全身に力を込めている。 まるで、戦の時のようだ。 こういう人間に逆らうほど、農民に落ちぶれても片桐は馬鹿でなかった。 「じつはな、とある夜に・・・」 片桐は、近頃、寝言も言わない鳥羽上皇の寝室から、 夜な夜な妙な声が聞こえていることに気をかけていた。 その非常に艶っぽく美しい声は、どう考えても鳥羽の物ではなかった。 と、いうわけで、侍従には内緒で単身、鳥羽を夜ごと見張る事にした。 始めのうちは、声が怖くて扉すら開けられなかったが、 次第に慣れていき、とある夜とうとう扉を明けてみた。 そこでは、鳥羽の枕元に、 絶世の美女が座っていて、お手玉をしていた。 片桐は一瞬、安堵の息を漏らしたが、(遊女のたぐいと思ったので) すぐに、息を呑んだ。 その女のもつお手玉は、全てが、人の髑髏であったのだ。 「ど・・・髑髏?」 「ああ、それも一つはぎらぎら輝いていた、それをよく見ると、」 その輝く髑髏は水晶でできたものだったのだ。 あまりの光景に目を話せぬ片桐をよそに、女は相変わらず、 歌いながらお手玉を続ける。 そして、お手玉を終えると、水晶の髑髏を手に持ち、 それをべろりとなめて、片桐に向き直った。 片桐は思わず悲鳴をあげて、そのまま走り去った。 あとには、女の笑い声だけが背中について回った。 「その時をよく思い出すと、お手玉をしていた手も、 手ではなく、金色に輝く尻尾だった気もするのだ・・・」 尻尾。金色の尻尾。 だんだん、イメージが膨らんできた。 「その時歌っていた歌が、 一つ投げては今世のため。 二つ投げては自らのため。 三つ投げてはあの方のため。 四つ投げては、」 「次世のため。」 与一の言葉を聴いて、片桐は戦慄した。 まさしく、それで正解だったのだ。何故知っているのか?これを知るのは 私と上皇様だけではないのか? 言葉にならない叫び声をあげて、片桐は与一の家を飛び出した。 彼のその後を知るものは、誰もいない。 讃岐は、驚愕した。 与一の自宅には、与一以外に誰もいなく、足日も首をかしげていた。 が、なにより驚いたのは、与一の全身から沸きあがる、 どす黒い殺気であった。 いくつかの修羅場を乗り越えてきた讃岐にも、 これほどの殺気を見ることは、まず、なかった。 いや、人がこれほどのあらぶる心をもって、自我が保たれている事が、 奇跡であると言ってもいい。 「よ、与一殿?・・・なのか?」 「旦那様?」 与一の眼が、ごうごうと燃えているように見えた。 まるで、阿修羅の炎のようだった。 讃岐は、ことを察した。 「いかん!いかんぞ、与一殿!行くのではない! お主は人なのだ!鬼になってはならぬ!」 「ど、どういうことです?」 いまだに足日だけが、状況が分からずにいた。 讃岐は知っていた。与一の、いや、●●の仇の所在がはっきりした事を。 だから、今すぐ殺しに行くのだ。 「讃岐殿。」 背筋が凍るほど低い声で、与一が言葉を発した。 足日が、すくみあがった。 「人の血は、強力な呪毒になると聞くが、誠か?」 「あ、ああ、だが、下法中の下法だ。」 「そうか。」 弓を乱暴に取り出し、鞍を持つ。 外に出て馬に鞍と食料、弓矢をつけたあと、具足をつける。 与一は、とてつもない殺意に心を駆られていた。 足日が、なにやら言った気がしたが、与一には聞こえなかった。 最後に、家の大黒柱に張られていたお札をとって、懐にしまう。 「都の鳥羽上皇の屋敷に行ってくる。 中将殿に、その旨伝えてくれ、足日。」 「よ、与一様。いったい、なにを・・・・?」 「私か?私はな・・・」 馬にまたがり、都の方角を与一は見据えた。 「死にに行くのだ。」 馬を全速力で走らせた。 次第に、暗雲がたちこみ始めていた。 讃岐が後をおって、都に走っていった。 四つ投げては 次世のため 五つ投げては 混のため 六つ投げては 死出のため |
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