弓侍と狐
五の巻
| 走るがいい 走るがいい 永久にでも 走るがいい 屍踏み付け 走るがいい 血を吐きながら 走るがいい 「止めろお!」 与一が、馬ごと上皇の屋敷に突入した。 なんせ、ここにいる戦闘員は貴族上がりのおかざりどもで、与一一騎も、 とめる術はなかったのである。 それゆえに、屋敷は阿鼻叫喚の大騒ぎと化した。 与一は、そこらの庭石や置物をまったくきにせず、鳥羽の間まで、 突き進んだ。 「大変だア!敵襲だ。総員、矢をつがえ!」 「相手は武士だぞ、注意しろ!」 「上皇さまを第一にお守りするのだ!」 などと周りが好き勝手なことをいっても手も足も出ない。 馬から下りた与一は、突然の事におたおたしている上皇の烏帽子に、 矢を一発射掛けた。 続いて、長い服に二発目を当てて、床に縫いつけ、 動けなくする。そして、上皇に矢を向けた。 その時だった。 甲高い女の笑い声が響いて、上皇の背後から、 金色の体毛を持つ狐が一匹飛び出した。その狐の尻尾は、九本だった。 狐は、庭に降り立ち、泡を食って卒倒した上皇を一瞥し、 それから与一に向かって、 「久しいのお・・・・△△。」 与一は無言で矢を射掛けたが、狐はいともたやすくそれをかわし、 見張りを数名なぎ倒して、屋敷の外へ逃げ出した。 すぐさま馬に駆け戻り、飛び乗った与一は、 雑魚の戦闘員や見張り役をなぎ倒し、狐を追った。 たった数十秒の出来事だった。 「なんじゃあ、ありゃあ・・・・」 屋敷から飛び出した与一を、乞食が見ていた。 「まるで鬼神のようじゃあのお。ひひ、柄にもねえこといっちまった。」 与一は、なりふりかまわず、狐を追い続け、矢を射掛けた。 一人の子供の足元に、流れ矢が刺さった。 与一はそれすらもわからなかった。 ただただ、血走った眼を狐に向けて、隙あらば矢を撃った。 いつのまにか、与一と狐は都を飛び出し、野に出ていた。 野のど真ん中に、息をきらしながら、走ってくる影が見えた。 讃岐である。 「ああ、よ、与一殿の馬。おおい!」 讃岐の呼びかけに、与一は答えない。讃岐は、おかしなことに気付いた。 与一の少し前の草がなぎ倒されて何かかが向かってくるのである。 何かは、讃岐の横を掠めた。 「狐だ!与一!」 その時、与一の姿が、風神の様に見えた。 疾風をまといて大地を突き進む荒々しい戦士。 陰陽道で習った神の一つ。 「ひ、人が、こうにも感情に取り付かれた人間は、 神にも等しいと言う事なのか?いや、あれは人なのか・・・」 通り過ぎた二つを眺めてしばらく呆けていた讃岐であったが、 すぐに自我を取り戻し、式神の準備に取り掛かった。 「相模。」 紙が、巨大なカラスの姿となった。 それにまたがり、讃岐は飛び立った。 はやく、はやく与一に追いつかなければならない。 鬼は、この世の鬼となる人間は自分ひとりで十分なのだ。 与一は、狐を追い続け、山道へと入った。 岩を避け、獣を切り倒し、ただひたすらに狐だけを追い続ける。 狐は与一をあざ笑うかのように、ひょいひょいと動いたが、 与一は冷酷無比な弓捌きを遺憾なく発揮し、狐を狙った。 あれをこの世から消せば、全て終わるのだ。 この思いも、うらみも、憎しみも、千年以上、何世代にもわたり、 連綿と続いてきた思いに、終止符が打てるのだ。 なんとしても、なんとしても、討ち取らなくてはならない。 数匹の尻尾が数本ある狐が、与一めがけて飛び掛ってきた。 「のけえ!雑魚があ!」 刀で的確になで斬りにしていく。 鮮血が木々を染めた。この追撃線上には、屍が点々と転がっていた。 ひづめの音が、山道を震わせる。 すでに三日三晩走り続けて、馬は疲れきっていた。 だが、与一は眼にらんらんと光をたたえている。 それでも、残りの弓は三本。そろそろつらい。 さらに走って、道がなくなり、ゆるやかな谷に出た。 立て札に、地獄谷と書かれている。那須までいつのまにかきていたのだ。 しかし、与一にそんなことは関係ない。 馬と共に谷底へ降りていった。 谷底について、馬を下りると、その場で馬は倒れこんだ。 死んだのだ。 与一は、歌声を聞いた。 「一つ投げては ・・・・」 歌声の聞こえる先に向かう。 この雰囲気は感じたことがある。と、与一は思った。 あの、夢の雰囲気である。 やたらにおう蒸気を避けつつ、前へ前へと進む。 不意に、ひらけたところに出た。中央に、巨大な岩があった。 その岩の上に、あの女がいた。 金色の髪、真っ赤な眼、端正な顔立ち、十二単を着込んだこの女こそ、 「・・・・玉藻。」 女は、水晶の髑髏をべろりとなめた。 「ほんに、久しい。わらわは感無量ぞえ。 あの頃の人間に出会うなどと、わらわも思っても見なかった。」 「今すぐ、殺してやる。」 「かまわぬ。」 ・・・・・・・・・? 「なに?」 「構わぬと言うた。わらわは少々、長く生きすぎた。 もうそろそろのお、潮時ぞ・・・」 与一は、ぎりりと歯軋りした。玉藻が怪訝な顔をする。 「生きすぎただと、笑わせるな。その貴様のおかげで・・・ 私がどれほど貴様を恨んだことか!生まれ変わるたびに、 貴様を殺す機会を伺ったことか!貴様には分かるまい。」 「うむ、わからぬ。」 あまりにも、あまりにも、何だこれは。 仇討ちだろうに、こいつをこの場で殺してやりたいのに、だが、だが、 殺したくない。自分が望んでいたのは、 こんなあっさりとしていた物ではない。 「ならば・・・・ならば・・・」 与一は、弓を取り出した。それを、 自分の胴体に突き刺した。無論、軽くだが、矢は血にまみれた。 それに、懐にしまっていた、これも血のりがべっとりとついた、 札を、矢の先に結んだ。 「これを、貴様が喰らえばどうなるかぐらい分かるであろう、玉藻。」 玉藻の表情が、今までのにたにたから、恐ろしいぐらいの、 無表情へと変わった。 「これは人が行える下法中の下法だ。これを受ければ、鬼毒が全身に、 まわり、貴様は未来永劫、苦痛にさいなまれる・・・」 与一の顔が、ひきつったように笑った。 「面白い。下法と下法で対決かえ?ならば、わらわも、 このような無粋な場でない所で争いたい・・・・」 一瞬にして、幻覚の野原が現れた。 「さて、行くぞえ・・・」 走るがいい 走るがいい 何があろうと 走るがいい 悔いのない様 走るがいい 血を流しつつ 走るがいい |
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